みやうちふみこの詩のページ

あふれる言葉 感動 感嘆 処々 

晩夏

ま~ぁだだよ~ 

もう~いいかい! 

ま~ぁだだよ・・・・

母親らしい語らいの

まにまに

子供たちのはずんだ声が

ひびくように聞えてくる

 

ぼんやりと 

深い深い 

まどろみから

覚めながら

明るさのなかで 

今がいつなのか 

あたりを見回しても 

頭の中はまっしろで

戸惑いながら

辺りを見回し

じっと 何かを

確かめるようにしながら

玄関へと歩をすすめる

Oちゃんの靴がない!

 

そう、、、新聞を読んでいたのだった。

 

  もう~いいよ!

気がつくと 

子供たちの声は

と~くに行って

時計の針は 

正午になろうとしていた

 ここから見える

桜葉の中から

ジイジイジイと鳴く 

セミの声が聞こえて

おとといまで 

桜葉の下一面に生えていた 

猫じゃらしは 

男の人が 朝 

2日かけて

抜き取ってくれて

あとには 

今年の夏も 

もう終わりです。と、

かいてあった。

 

早くなってきたと

感じる 夕暮れ

残暑のぬくもりを

含んだ 風が 

ひんやり 

生暖かく 

肌に触れる

宙 全部が

灰色にそまっても 

ツクツクボウシだけは

普通に鳴いている

 

 

いまにも、雨が降ってきそうだ

 

2020年9月17日推敲  

「いつもの時間」      

いつもの時間       みやうちふみこ

 

ごご、昨日はなかった

いつもの時間に、キッチンに立って

ポテトサラダを作る。

ミニトマトを添えて、夕食は、

前の日から決まっていたチキンソテー。

炊飯器をセットして散歩にでると、

さらさらと雨が降っていて 

大きな桜の幹で、セミが鳴いていた、から、

昨日聞いたセミの声 夢ではなかった、と

安堵して 歩いていくと

苔の生えた 公園の隅の方から

誰かに呼ばれたような気がして、見ると

傘を紅色で染めたような 白いキノコが

生えていた なまえはまだ知らない

花のような、はじめて見るキノコ。

 

足つぼ タイルを3周したら 汗びっしょり。

 

誰かに呼ばれたような気がして、

帰って、、、、から、 

ベランダにでて ローズマリーを摘んだ。

 

          2020、7、24 提出  

 

 

 三角みづ紀詩の教室添削済み原稿

 

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いつもの時間       humiko
 
 
ごご、昨日はなかった
いつもの時間に、キッチンに立って
ポテトサラダを作る。
ミニトマトを添えて、夕食は、
前の日から決まっていたチキンソテー。
炊飯器をセッとして散歩にでると、
さらさらと雨が降っていて 
大きな桜の幹で、セミが鳴いていた、から、
昨日聞いたセミ声 夢ではなかった、と
安堵して歩いていくと
苔の生えた公園の隅の方から
誰かに呼ばれたような気がして、見ると
傘を紅色で染めたような白いキノコが
生えていた なまえはまだ知らない
花のような、はじめて見るキノコ。
  
足つぼタイルを3周したら汗びっしょ。


ベランダに出て、ローズマリーを摘んだ。

      

 2020、7、24  (もとの原稿)
 

ふつう

      ふつう

     

かざ音につられ 

窓を開けると 

くら闇から 

霧のような

冷雨が

吹いてきて 

覚醒する

  

立春。あたたかい一日だった。

 

ちりょうで 

抜けておちて 

徐々に このごろ すこし 

ふつうになってきた 

かみに 

ていねいに挟みを入れる。 

ちょき ちょき ちょき

  

「一度だけパーマをかたことがあるの。」と その人は話してくれた。

 

ちょき ちょき ちょき 

のびてきた髪を

ちょき ちょき 

ちょき ちょき

切ってみた。

ちょき ちょき ちょき 

いつも同じ。

ぎざぎざぎざ。

 

「かみ切ったの? って聞かれたよ。」

「お母さん。って言ったけど、そんな風に聞かれたときは、ふつう、

美容院へ行ってきたの(ね)。って 言うことらしいよ。」

 

グラスに挿した蕾のなばな。きれいに咲いた。 

 

   

          2022年 2月7日  

   

ナナロク社の詩の学校

   三角みづ紀詩の教室最終回課題投稿       宮内文子

 

 

 

 

白梅(しらうめ)

   白梅(しらうめ)

 

                      みやうちふみこ

梅のはなは 咲くとき

「ぽっ」と 音がするのだと 

聞いたことがある。

その人 はもういない。

 

白梅(しらうめ)のはなの咲くころ「ぽっ」と 旅にでたのだと風の便りで知った。

 

今年も 白梅(しらうめ)の

咲く季節が近づいてきた。

あの木は元気だろうか

蕾は膨らんできただろうか 

 

「ぽっ」と 白梅(しらうめ)の咲くころになると 

かならず 私のこころには 

あの日の光景が はっきり 

浮かんで くる の です。

 

二月の晴れた 穏やかな日でした。

小さな庭は 顔 顔 顔で

いっぱい だった。

けれど・・・ 

わけの わからないまま

兄の棺が 門出を迎えたとき

風が すーっと 吹いてきて

棺と 喪服をまとった 母の背に 

ひらひら ひらひら ひらひら

白梅(しらうめ)のはなびらを散りばめて

 

うつむいたら 足元に 黄色いはなが咲いていて・・・

 

あれは 仕組まれた

ショーだったのだろうか

悲しすぎるほど 美しいい光景だった。

 

最後の悪戯だったのだろうか。

 

あの日から 5年過ぎて

母も旅にでて 会えたのだろうか 

ぷっつり 

風の便りもとだえてしまった。

 

あの世でも「ぽっ」と咲く 

白梅(しらうめ)を 愛でることができるのだろうか。

糸電話でお話しできますか?

                 

 

 

                         宮内 文子

 

                2021年2月7日詩の教室投稿

                2021年3月7日推敲

 

 

 

 

 

 

 

ハルジオンの花

雨上がりの初冬の空は

やわらかなほほえみを浮かべて

爆音までも ふんわりと抱擁して

機体は雲に抱かれ 先へ先へと

 

陽だまりの花の枝に 

一枚 

赤く光る葉が 

体を横たへ 

育んできた

小さな蕾を

微笑みながら

愛おしそうに見つめている

 

そろそろお別れだね

はっぱのリフレイン

 

アスファルトの割れ目に伸びたハルジオンが

青い空に向かって 歌っている

 

 宮内文子

 

 

香り

 ふとしたことから、昔のことを思い出している。小学生の頃の事だ。

春早く、小川の淵のネコヤナギが、銀色の花穂をつけるころ、よく、畦道でセリ摘みをした。楽しみだった。セリは、母が、ニンジンや干瓢干し椎茸、油揚げなどと一緒に、混ぜご飯にしたり、麩と酢の物にしてくれた。食べると春の香りが口いっぱいに広がった。母の味、幸せの香りと言うのだろうか、セリの香りがとても懐かしく蘇ってくる。

 今は、セリも、野菜として栽培され、束ねられ箱に詰められて、市場から店先へと運ばれて、スーパーでいつでも買える。けれど、容姿も香りも、あの頃のセリとは違う。

 小春日のような日だった。街路樹のイチョウは、黄金に輝いて、時折吹く風は頬に冷たかった。そんな、散歩の帰り道、野菜販売所で新ジャガイモや人参、ほうれん草ブロッコリー大根を買った。大根と人参、新ジャガイモは、土の中で育ったのだと自己主張するように、土の匂いをぷんぷんさせて、ほうれん草とブロッコリーは、青々としていて、元気があふれていた。茹でたブロッコリーは、甘みがあって、しゃきしゃきとしていて、今まで味わったことのない美味しさで、もっと驚いたのは、茹でたほうれん草を食べたときだ。葉の下部、茎の部分をかむと、しゃきしゃきして、全くしていないのに、その、しゃきしゃき感が、セリの香りを放っているように感じたのだ。食感で「香り」を感じる。不思議に思った。果たして、そのメカニズムは成り立つのだろうか。調べてみたが判明には至らなかった。が、確かに感じた事なので有りうると確信したい。

 あと、10日余りでお正月。今年に入って間もない頃から、世界を震撼させ始めた新型コロナウイルス。今日の感染者は全国で2367件と報道された。3密・手洗い・マスクの日常を、不日常に変換できる日が、一日も早く訪れることを願い、家族の幸せを願って、お雑煮とセリの香りで、新しい年をお祝いしたい。

 

幸せ桜

 

      幸せ桜  

                          みやうちふみこ

紅梅の咲く頃  真昼の流れ星のように 

宙に向かって 輝き始める拳のつぼみ 

新しい年に 巡ってきた季節を感じながら

 私は、川面を渡る風に吹かれて 在る

幸せ桜に会いたくなって バスに乗った。

 

その日は、コロナ感染防止のため 首都圏一都三県に 再度緊急宣言の出された日だった。 平日、午前十時台の乗客はまばらで 目に入る人は 皆マスクを付けて 密を避け 車内にも 緊迫感が漂っていた。

こんな日に どうして外出するのか?と問われたら、「ナナロク社・ 三角 みづ紀 

詩の教室」の 課題提出〆切日が迫っていても なにも浮かんでこないまま じっと

していられない気持ちと、そんな時には 「バスや電車に乗って物事を観察する 。

見た風景に 感情もふくめる」 と話していた、講師の言葉を 思い出したからだと 

応えよう。

 

駅のエレベータを使って 南口に出ると

急に 冷たい風が わたしを纏うように 通り抜けた。

また 風に向かって レンガ模様の階段を上ると

その先は 鶴見川に架かる大きな橋  私は

橋の手前から 川に沿って歩き始めて

間もなく 珍しい 風景を見た

河川敷にテントを張り 焚火しながら 側で

お母さんらしき人は 本を読み

お父さんらしき人は 子たちにボールを投げる 

家族らしい 塊

母娘で走る姿や 自転車で通り過ぎていく人

裸の木々は 寒そうに していても

じっと そこに そのまま在って

ピィッピィッ と 頭上高く飛ぶ 鳥たちも

自由で 宙は 広く広く 青い

 

堰を流れ落ちる水音が 聞こえてきて 

そこに立つと いつも 思う。 

「言葉では難しい この 水音が 好き と。」

 川面には 円を描くようにしながら

カモが数羽 光る 冬の陽を浴び

流れの余韻と 戯れていた

 

桜並木の 蕾は、まだ固くても 

その中に 毎年、早く咲く 

桜木があったと 確信して 歩いて行くと 

本当に 二輪綻んでいる 桜木に出会った

 

守られているのだろう その木には 

去年より丁寧に 

「幸せ桜」「ボーイスカウト」の札が結ばれて

 出会った頃の 幼さはなく

そこにしっかりと根を張り 

川面を吹き渡る風を一身受けても

春 早く咲くための 

支度を整えていたのだろう

 

 カメラを向けていると

「あら、咲いていますね。」

「ありがとうございました。」と

語りかけ 

行き交う人たちがいて

幸せ桜は 

そこに 在るだけで 役目を 

果たせているのだと思った

 

流れと 

戯れていたカモたちも 

ぷかぷか川面に浮かんで 頭を垂れ

揃いの トレーナーを着た3人が 話ながら

わたしを追い越し 風を置いて 走って行く

 

まだ、太陽は 真上にある 

 

帰りのバスも 程々の人

食材リストに、生かきと フリージアを加え 家路についた。

 

「お父さんと 君の桜」 は 元気だろうか 。 

忘れかけていた故郷が蘇ってくる。 しょうもない。              

 

 

宮内文子

 2021年1月24日   

2021年3月 7日推敲