みやうちふみこの詩のページ

あふれる言葉 感動 感嘆 処々 

香り

 ふとしたことから、昔のことを思い出している。小学生の頃の事だ。

春早く、小川の淵のネコヤナギが、銀色の花穂をつけるころ、よく、畦道でセリ摘みをした。楽しみだった。セリは、母が、ニンジンや干瓢干し椎茸、油揚げなどと一緒に、混ぜご飯にしたり、麩と酢の物にしてくれた。食べると春の香りが口いっぱいに広がった。母の味、幸せの香りと言うのだろうか、セリの香りがとても懐かしく蘇ってくる。

 今は、セリも、野菜として栽培され、束ねられ箱に詰められて、市場から店先へと運ばれて、スーパーでいつでも買える。けれど、容姿も香りも、あの頃のセリとは違う。

 小春日のような日だった。街路樹のイチョウは、黄金に輝いて、時折吹く風は頬に冷たかった。そんな、散歩の帰り道、野菜販売所で新ジャガイモや人参、ほうれん草ブロッコリー大根を買った。大根と人参、新ジャガイモは、土の中で育ったのだと自己主張するように、土の匂いをぷんぷんさせて、ほうれん草とブロッコリーは、青々としていて、元気があふれていた。茹でたブロッコリーは、甘みがあって、しゃきしゃきとしていて、今まで味わったことのない美味しさで、もっと驚いたのは、茹でたほうれん草を食べたときだ。葉の下部、茎の部分をかむと、しゃきしゃきして、全くしていないのに、その、しゃきしゃき感が、セリの香りを放っているように感じたのだ。食感で「香り」を感じる。不思議に思った。果たして、そのメカニズムは成り立つのだろうか。調べてみたが判明には至らなかった。が、確かに感じた事なので有りうると確信したい。

 あと、10日余りでお正月。今年に入って間もない頃から、世界を震撼させ始めた新型コロナウイルス。今日の感染者は全国で2367件と報道された。3密・手洗い・マスクの日常を、不日常に変換できる日が、一日も早く訪れることを願い、家族の幸せを願って、お雑煮とセリの香りで、新しい年をお祝いしたい。